2010-06-28

石井淳蔵『マーケティングの神話』をよんで考えたことをメモします

石井淳蔵『マーケティングの神話』という本をよんで、かなり単純化して以下のことを考えました。

なぜ広告の開発が、モノと同じように進まないのか?
2つのプロセスが異質だから。

①モノは、論理実証主義型の開発プロセス
経験からの帰納、公理からの演繹→仮説の構築(コンセプト・ターゲットetc.)
→妥当性の検証→適用、もしくは帰納に戻り、仮説の再構築。
(帰納や演繹で仮説を構築するところの推論は、とてもしっかりしているイメージ)

②広告は、意味了解型の開発プロセス
多面的情報収集→コンセプトなどの構成→多面的情報の再解釈→再再構成や情報収集へ。

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家電だってモノだけど①だとはいいきれるわけがない!それはまあいいです。
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例えばイベントを企画するとき、①、②のどちらかというと、②の要素が沢山ある。
・家電の場合は目標値を数値でだせる(〇〇性能◯%UPとか)。一方イベントのばあい、単純に目標値を数値に置き換えられない。
・何を以て良いアウトプットなのか?を明確にしづらい、そのまま開発がスタートする。それで②をやる感じに流れていく。確かに!
・アウトプットのあるべき姿が明確になることはないまま開発のステップが進む。したがって、ステップはなんども手戻りしたり、進むときも論理的ではなかったりする。
・コンセプト決めるために多面的な情報収集がされる。多面的=焦点を定めた情報収集とはならない。何がいいのかわからないので、とりあえず多面的にやる。一見関係ないようなことが決定的になる可能性もある。
・脈絡の無いデータの断片からコンセプトが「構成される」
・どこまで進んでも、ゴールやそれにいたらしめる要素は何が望ましいのかについて、基準が曖昧。だから、決まりかけても批判されて最初からやり直し、てことが多々ある。またやり直しに反対するにも、定量的な反対根拠があるわけではない。
・なぜあるコンセプトが選ばれるのかについて、論理的、または定量的な説明をすることが難しい。そのため、企画段階では多種多様な意見がでてくる。それらの調整に時間と労力をすごく使う。議論には決め手がなく、出口のない議論が果てしなく続いてしまう。
・定性情報からコンセプトを構成するにあたり、その信頼性をたかめるために定量情報が用いられるが、それが最終決定できるほど強いなものになるわけでもない。
・多面的情報収集→コンセプト、属性の構成→多面的情報の再解釈→再構成、また情報収集。…つまり②では①みたいに「仮説・検証をしているわけではない」。①のプロセスが通用してない。

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考えたこと
イベントのような製品を開発するには、単純な仮説と検証のやりかたにはめればいいと考えるのはやめたほうがいい気がする。では②のほうにいったからといって、上のような問題がたくさんあってどうしたらいいの?となるが、ここはハラをくくって時間と労力かかるのを覚悟して「情報収集」「コンセプトの構成」「情報の再解釈」「なんどもやりなおし」を多面的に入念にやる。そしたらアウトプットの精度を高めることはできる。
と思うので、そう信じて行動する。


以上です。

2010-06-20

佐々木俊尚さんの講演をきいて思い出したことをメモします



自分があいたいしているものと、他のものとの関係を知覚する。何かのコンテクストを読み込んでいるとき、それがアスペクトとして本人の目の前に浮かんでくる。アスペクト視。とウィトゲンシュタインの本を読んでいて理解した。それをさせてくれるような情報の提示。キュレーション。膨大すぎてそれ自体ではフラットになっている情報群をある大きな見えのもとで提示してくれるような人。キュレーター。

見えがある場合とない場合、違う見えのもとで接している場合、振舞いの微妙な陰影に違いが出てくる。どんな大きな見えのもとにいるかで、行動が少しずつ異なってくる。

ただ多いだけじゃなくて良いレコード屋にいくと感じる感じ。池田信夫の一連の書評を発見した時の感じ。いろんな小さい水たまりごとに見えを提供するひとがいて、自分の好みの提供者をフォローする。この分野ではこの人。この分野ではこの人。

お金を使うときになるべく、この人に払いたいと思える人からサービスを受けたり、モノを売ってもらったりしたい。そういう時にはあまりお金を惜しまないようにしよう。この人がやってることは信頼できる。というやつを増やす。

新聞だと、自分の興味に対してすごくおおざっぱなことしか書いてないなーとかんじてしまう。いまはいろいろ細分化しているので。「マスメディア」なのだから細かい興味にすべて細かく対応する情報流すのは、そもそも無理か。ただし「今日の日経新聞にはこんな記事がありましたねえ」て会話がビジネス上必要になる場面がまだまだあるから、廃れるわけではないと思う。日経なんてしらねーよとは、まだなかなか言えないと思う。いやだなあ。

活版印刷ができて一番変わったのは物流システムという話が面白かった。以前は写本。以後は印刷で大量に出回る。昔は読みたければ、少数しかない写本をもとめて修道院とかに旅をした。15C以後は活字の本となったイスラムの知が流入し再発見された。それでルネサンス起きた。少数しかない聖書を読むことができた聖職者が神の言葉を民衆に伝える役割を独占していた。が聖書みんな読めるようになって、教会が中抜きされる事態が起きた。そっから宗教改革起きた。

やること:
自分に入ってくる情報の流れをよいかんじに整理、限定する。
それで何を考えたのか、アウトプットする。      

以上です