2015-03-01

Japan architechts1945-2010 という展示 3.11以後の建築 という展示の感想

今日、金沢21C美術館に観光にいきました。Japan architechts1945-2010という展示と、同時にやっていた3.11以後の建築という展示を見にいきました。
かなり戦後の建築歴史勉強になり、かつ自分が建築に対して感じる熱さはどこにあるのかを再確認する旅になりました。
以後かなり偏った意見。
結論は、「3.11以後の建築」は、すべてかつて私が好きな石山修武が提示したことの、トレースであり、石山さんが、いかに先見性あったかが分かった(言い換えれば、生まれる時代、30年早すぎた。いま40代だったら超ヒーロー。)ということだ。
例えば3.11以後の建築」の章立ては、
1みんなの家
2災害後に活動する
3エネルギーを考える
4使い手とつくる
5地域資源を見直す
6住まいをひらく
7建築家の役割を広げる
だが、これを石山修武キーワードに置き換えると、
1=石山自邸=世田谷村
2=唐桑、上九一色村
3=世田谷村、開放系技術論
4=施主とその息子さんに一部家を作らせるセルフビルド、もっとハードコアなのは石山さんと施主が2人きりで一から家をつくる「開拓者の家」…展示では高山建築学校にも行きビルをセルフビルドする岡氏のことがあったが、この学校の中心人物のひとりが石山氏。
5=三分一博志より、石山。世田谷村屋上
6=自宅がワークプレイス兼もろもろ=世田谷村
7=世田谷村=コミュニティデザイン〕。唐桑=地域の祭りを主催。秋葉原感覚で住宅=セルフビルドと関連した北米からの資材輸入業。小商い=著書参照。

また、成果になんなくてもワークインプログレスを見せることで、魅せて行く姿勢。これも近年、デザイン・建築でおおいけど=ウェブサイトにプロジェクトごとにページ作ったり、経過をみせるブログをしたり(世田谷村日記は、ブログ登場はるか以前からあり)
今回見た中で一番気になったのは坂茂さんだが、これは災害地支援=石山のにおい(例えばプノンペンへのポルポト派に破壊された寺のボランティアによる再建プロジェクト。あとは種々の人情系プロジェクト)を感じたからだが、
石山氏はデザイン力の不足(建物そのものはそんなくそかっこいい!とは言えない)と、様々な技術などを統合して良いアウトプットに持って行く作戦を立てる人物という本来のアーキテクトという言葉の意味に立ち返ると、シャイすぎたり、方々にちょうど良い感じに広報する力の弱さだったりが、同じような方向なのにもかかわらず、坂氏と評価大幅に分かれるてんなのであり…最終プリツカー賞を取るかいなかまで、分岐する。

黒川紀章=考え方、すごすぎ
安藤忠雄=インテグリティありすぎ
磯崎新=石山さんは舎弟
鈴木博之、難波和彦あたり、…ライバル
ってことで、社会が大きく進歩してくなかでの中で巨大建築、社会全体のメインストリームトレンドもフォローしつつ、科学技術への疑いもあるヒッピー世代、バックミンスターフラー、ホールアースカタログ的な何かを心に持つがゆえの反抗心もあり。というなかで、すごいいろんなポテンシャルが、あるんだけど…。

とにかく図録と、万茂の本も買い込み。読み込もうと思います。

金沢、ご飯(魚、お酒、おでん、などなど美味しいし、北欧的な良い家具の店もあるし、鈴木大拙館は、マジよかった。、、、なんかいも来てはいるのだが次は一泊できたい。粋な店で宴会をしながら様々に語り合いたい。

良い旅でした。
以上です。