2010-10-31

知財立国のジレンマ という論文よんだ

知財立国のジレンマとは「研究開発に巨額投資し、大量の特許を取得しているが、結果としてイノベーションに結びついていないこと」

なぜこういうことが起きるのかの説明、また、そういう状況を価値につなげた例を紹介している論文。そしてそこには新しい知財マネジメントが存在していることを述べている論文。

少し前に、兵庫県立大の立本准教授の講演を聞き、プラットフォーム戦略て何?ということに興味をもちました。最近になってまた調べていたら、知的資産経営総括寄付講座という団体が東大の中にあり、ディスカッションペーパーもあったのでひとつ読んでみましたが、これ、おもしろかった!
モジュラー型・インテグラル型ってのはよく言われますが、「オープン化されてしまう、すると参入障壁も下がり、コストもどんどん下がってしまう」という状況を逆に価値につなげる知財マネジメントを編み出したインテルのオッティリーニは天才だと思いました。
もうすこしインテルとGSM規格のケーススタディをやってみたいです。

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製品アーキテクチャにはインテグラル型とモジュラー型がある。
モジュラー型が進行した結果、知財立国のジレンマが登場することになった
(例:エレクトロニクス業界)
インテグラル型においてインテグラルされる技術体系は、キャッチアップしてくる企業にとって非常に高い参入障壁となっていた。
インテグラル型製品アーキテクチャでは、モジュラー型の入り込むすきがないから、特許の質と量を誇った企業が勝ち続ける。
モジュラー型:国際標準化される→一瞬のうちに技術伝播→製造コストとか安いから日本企業勝てない

特許のクロスライセンス・パテントプール:コスト安くなる、業界みんなで参入障壁つくれる
部品や材料:知財を独占しやすい
DVDのようなもの:数千にわたる特許で構成されるので、位置企業で全てを独占するのはむり
→クロスライセンス必要→国際標準化される→モジュラー型となる→製品設計・調達・生技・生産コストが激減する→参入障壁低くなる→いろんな企業が入り乱れる→コスト高いと勝てない。

特許をもっていなくてもお金を払えば活用できる。ちょっとお金はかかるけど、それでも他のところのコスト(売上高間接費)が低いから、利益は出る。特許をたくさん持っていても、持ってない会社とあまりトータルコストが変わらない。もしくは負けてしまう状況:知財立国のジレンマ

特許にお金を払わないといけない新興国の新規参入企業でも、知財コストの総額を工場出荷価格を10%以下におさえることができれば、他のところのコストが低いからトータルコストで優位に立てるらしい。

売上高間接費を小さくする仕組み
①ボリュームゾーンに集中②ユーザによって品質を変える③基礎研究をしない
資金は研究でなく④SCM確立⑤ブランド力(マーケティング・デザイン・広告)による価格維持
につかう

コモディティー化するタイミングで市場参入する(先駆者が有利だった事実はない)(持続的イノベーションについてのクリステンセンの指摘と同じ)
サムスンLGは国際標準化された瞬間に市場参入できるぐらいの技術力は持った。てことで日本企業が製品イノベーションや国際標準化を主導したところで、とくに意味はない。すぐに成績では抜かれてしまう。

オープンな国際企業間分業、そのサプライチェーンの特定セグメントで知財(技術の改版権)を独占する。その部分の技術は完全ブラックボックス化して公開しない。ほかは徹底的にオープンにする。そのチェーンを利用するやつはぜったいその独占された知財に対してお金を払わないといけない。独占した部分を絶対守るために凄いお金かける(訴訟・契約など)→絶対儲かる仕組み
例:マイクロソフト インテル シスコ 携帯GSM規格 
失敗例:IBM

デファクトスタンダードではなく、「コンセンサススタンダード」ていうやつをつかって、規格の内容をすべてオープンにしてしまう。

オープン標準化の世界では付加価値が基幹部品に集中するという研究結果
(基幹部品のコストをさげるために積極的に外部に作らせるというようなことはしていないか)

独占したセグメントには、クロスライセンスを絶対採用しない
オープン化モジュラー型経営環境の中に、局所的にクローズドインテグラルが埋め込まれている

リバースエンジニアリングをみとめない?について調べる

「プラットフォーム戦略」てのとも多分に関係している
インテルとGSM規格のケーススタディは、別でまとめる 

とりあえず、インテルでこの天才的な仕組を考え出したのはオッティリーニていう人(アンディーグローブが社長だったときに財務のトップだった人?)

どうやって、その仕組みを他の会社に最初に納得させるのか?が疑問
→みんな頭わるくて分かっていない段階で、先に気づいて、だまして納得させる感じ?
(たとえばGSM規格をどうして中国はうけいれたのか?)


以上です

2010-10-17

『イノベーションのジレンマ』よんだ

クリステンセン『イノベーションのジレンマ』The Innovator's Dilemmaを読みましたので、そのメモをただ記します。かなり、おもしろい本でした。
ほんと、あてはまるなーーとおもいながら読みました。
破壊的技術採用の場合、かなりわかんない中で進んでいくことになるが、そのときどうすんの?ということに関して、実際にプロジェクトを動かすひとの立場としてはこうするのがいいのでは、という示唆も文中ありましたが、それは組織をどうデザインするかにもつながっているということで、自分にもゆくゆくなにかためになるかもしれないと思いました。

以上です


以下はメモ以上のものではないです
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イノベーションのジレンマとは「企業が主流市場でリーダーになるための経営慣行そのものが、破壊的技術によってもたらされる機会を失う原因となる」こと

第一部:持続的技術・破壊的技術・イノベータのジレンマとは何かを説明

低価格、低技術。誰も優良企業は目を向けない技術。
破壊的イノベーション:既存技術の組み合わせ・低性能・低価格
破壊的技術を採用するという決定が遅れてしまう(優良企業であればあるほど)
大きい市場(主流市場)で成功している企業が、現在の自らの市場を分析すれば、破壊的技術に手を出すべきではないという結論が導かれる
(鉄鋼・切削機械・ディスクドライブ)
破壊的技術を採用する企業は、優良大企業が目をむけない、捨てたいと思っている市場で大きなシェアを占める。そしてだんだん、上位の市場に移行してくる。
大企業はだんだんと上に追い詰められる。

持続的イノベーション市場:ニーズも、顧客もいる。「顧客の声」を聞いてよくなるのは、持続的イノベーションの場合。

競争のさなかで破壊的技術を扱うときにジレンマとなるのは、持続的イノベーションを続けている現在の企業内に何も悪いところが見当たらないこと。
破壊的技術を採用するより、今の市場を攻めたほうが増益のチャンスが大きい、という状況。

優れた資源配分システム(=社内の判断プロセス)は収益性や受容性の高い大規模な市場を見いだせそうにないアイデアを排除するように出来ている。
しょうがない。それがなければ、そもそも企業として存続しない。しかしそうじゃない方向にいくのが破壊的イノベーション。
だけど、優秀なプロセスは、そうじゃない方向にはいくのを排除する。結果、巨大な機会損失となってしまう。
=イノベータのジレンマ


第二部:じゃあどうすんの?
最初の部分に要約が書いてある

主流市場の競争力を保ちながら破壊的技術を的確に追求することは不可能(4章の理由で)
組織を独立させることが必要
破壊的技術を追求する独立した組織が元の組織を食いつぶす。でもそれやんないとそもそも下から来る
(HPのインクジェットプリンタ)

薄膜ヘッドの導入事例。先駆者だった起業が、フォロワーより有利だったことを示す事実は存在しない。先駆者が大幅にシェア拡大していない。
先陣を切った学習効果でリードを活かし他社より高い技術レベエルを達成した様子もない(図による説明)
→これは持続的技術の場合。破壊的技術の場合は、真っ先に飛び込んで規模を出した起業が大勝ちする
経営はアートに近いというのは、例えば合理的に考えを重ねると参入する根拠が見つからない。はしごの上に上がってしまったあとに、下に降りるには。
飛ぶこと。insight。無根拠な確信。
小さい会社の場合、そこに飛び込んで小さな成果を出すと、数字自体は小さくても会社の伸び率は高いが、大企業になるとその程度の数字では失敗とみなされる。
だから別の価値観の小組織を独立させないといけない。破壊的技術を採用して出した数字が意味を持つような組織。最初は大企業はそこに目もくれない。
それがだんだん上位市場に食い込んでいく。

破壊的技術の用途:しりえない、発見するところからのスタート。agnostic marketing。
例:ホンダのスーパーカブ。ソニーのトランジスタラジオ。

一定の成長率をあげ続けたいという思惑。すると次第に下位市場にとどまれなくなる。
小さい組織:小規模市場を受け入れられる価値基準がある。低い利益率に耐えられるコスト構造を持つ。
232:新しい価値基準を導入するためにどうするか
236:新しい境界線をつくる

性能の供給過剰の意味:商品ライフサイクルが次の段階へ移るサイン
単に3.5インチが8インチ、5.25インチと同レベルのスペック、コストになったから各社一気に採用したのではない。むしろまだ3.5インチの方がコスト高かった。
これが意味するのは、容量に対する需要が飽和状態になるとまだ市場の需要を満たしていない他の性能指標が重要視されたことを意味する(この場合は大きさ)。
すべての需要が飽和したら、市場がコスト以外の何も重要視しなくなる。
機能→信頼性→利便性→コスト。

以後、まとめのページをコピーする。

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2010-10-16

「NAVERまとめ リニューアル まとめた人に報酬」てのはおっと思った

まず、佐々木俊尚の講演をききにいったときの発言メモを記します
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電子書籍の状況

京極夏彦はアドビの組版ソフト使って書いている。自分で作り、自分で出版できる。
もうすべて中抜きして金を取れる。破壊的。
凸版、朝日、KDDI、SONYで組む。なし崩し的に始まっている。
「本のコンテンツ」というものが新しくなっている。インタラクティブに。飛び出す絵本とか作れる。
写真クリックするとさらに情報に飛べるとか、雑誌のアプリケーション化。しかしこれは雑誌の本質そのもの。
日本ではしかしほとんどが単なる雑誌のPDFという状況。
リクルートのじゃらんはapp.としておもしろい。
雑誌というものはそもそもウェブ的。自分がいいところだけ見る。リンクを見て他のところに行く。
ハイパーリンク化、インタラクティブ化と雑誌の親和性は高い。
一方、小説はそうじゃない。シーケンシャル。
コンテンツを何で読むのか、媒体の変化は歴史上何回か起こってきた。
粘土板、竹、パピルス、羊皮紙、紙。
紙がずっとだったけど、今変化している。
変化していないのは流通システム。昔は写本(修道院や図書館)
自分のアイデアがオリジナルなものかどうか、知り得無かった。
グーテンベルク後、「知」のアンビエント化が起きた。
イスラム文化によってバックアップが取られた。ギリシャ文化はクラッシュした。
後にヨーロッパ人がそのデータを再発見し、復元した。ルネサンス。
聖書が誰でも読めるようになった。教会が中抜きされた。宗教改革。
政治の内容が文章で残されるようになり、適当にできなくなった。保険制度崩壊。絶対王政。民主主義。
印刷制度、500年ぶりの二度目の変化。電子物流。

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電子書籍と情報のキュレーティングについて

コストがゼロになる。したがって玉石混交になる。
今の本も昔の本も、フラットに売りだされる。絶版とか必要ない。
どうやって良い本を抽出するのかが問題になる。
また、自分がなぜその本を読むのかの背景、コンテキスト的な読み方、がフォーカスされる。
「いま〇〇なひとがよむべき五冊の本」みたいな紹介のされ方。
コンテキストを用意してくれると、その本の見え方が変わる。
共有もして、理解を深められる。(山形浩生さんの書評とか)
マスメディアの情報の流し方:大河的。大きい川みたいに大量に均一なやつをながして、受け手は魚みたいに口を開けて一様に接種するだけ
細かい情報はマスメディアが本質的にマスである以上担いきれない
湿地帯的情報:小さなビオトープがたくさん並立している。何か他のところから、水が流れこんでもいる。
広告クライアントどこに情報流せばいいのか、混乱している。情報の流れかたまだ把握出来ていない。
情報は個人を軸として流れる。マスメディアの情報大雑把すぎて面白くない。
今は皆、あるものに詳しい〇〇さんのblog、〇〇さんのtwitterというように、リストアップしている。そしてそれをフォローするだけで必要十分を満たす。
個人発の情報は玉石混交かつ超大量。一次情報の中からイイヤツだけ拾い上げるのは事実上不可能。
だけど、「誰が発している情報か」で説得性、納得性が高まる。
情報自体はわかんないが、人の評価は確立する。そういう人をみつけてフォローしている
ソーシャルメディアの根本
人を軸にして情報が流れる
自分が信頼している人が流す情報
食べログでも、この人が評価するなら信用できる。というような仕方で情報を収集する。
世界中にある〇〇。それを独自の視点で評価し、提示する。
コンテクストをつけて、見え方をつくる。キュレーション。
(大量にならんでいるわけではないのに、非常に良いレコード屋を思い浮かべる)
情報量超大量になっているだけにcontents is not the king, but curating
どんな圏域の人か、自分で見つけてきてフォローする。
でもビオトープがたくさんありすぎて、価値観が違う:サイバーカスケード。
オープンなコミュニティでは批判も多い、それによって最適化される。
→インターネットは正義が勝つという信念
curationは言ってみれば個人のバイアス。例えば佐々木俊尚という人間のバイアス、立ち位置を折り込み済にして、情報をとる。
そうしたいと他の人が思ってくれるかどうか。
ビジネスとしてcuratingがなりたつかわからない。
(書評をするαブロガーというところからいろいろなビジネスに進んでいっている池田信夫 というのはいる)
(また、良いレコード屋を想起)

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しかし、つい最近naverまとめサイトから、良いまとめをした人にお金をだす意向だということが発表された
「目指せ“1億総キュレーター” 「NAVERまとめ」リニューアル、まとめた人に報酬も」
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1010/15/news035.html


自分も、ひとつぐらいこういう分野をもちたい、と思います。
以上です