2010-08-12

KYOTO CAMP 2:坂口恭平『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』をよんで考えたこと

瀬戸内国際芸術祭で豊島という島に行き「藤島八十郎をつくる」という作品を見た。

築数十年のボロボロの廃屋が「藤島八十郎という絵本作家をめざす男の家」という設定で改造されている。中には旅、芸術、建築などの本がぎっしり並んでいる。中南米、ジャズ、自然をつかった芸術、などが好きな模様。また、土間になった作業場の壁には超大量の工具が整然とかけられている。八十郎は必要な物をじぶんでつくる、セルフビルドをしているらしい。二階にはテントが張ってある。庭で野菜を育てている。台所にはいつも使っている感じの自家製調味料のビン、お茶の缶などが置いてある。冷蔵庫には飲み物が入っており、八十郎にお代をはらえば飲んでよい。実際に飲んだ。八十郎の家にお邪魔する感じで、本も読んだ。

島にずっと昔からある家を作品にするというのには、もともと家プロジェクトというのがあり、他にも今回の芸術祭でたくさんの古い家が使用され、それぞれかっこいい作品として生まれ変わっているが、それと藤島八十郎をつくるは趣を異にする感があった。

廃屋がきれいな家に改装されているわけでは全くない。ところどころ床が抜けているし隙間もあいている。だが八十郎さんが素人仕事によって彼なりの工夫を重ね、家というか「人間の巣」として見事に使っている感。石山修武さんが教えてくれたかっこいいやつと同じ方向性。予想どおり、八十郎は石山さんの図録も読み込んでいる模様。

ここに住んでいる八十郎は、島のお年寄りと直接触れ合うため移り住んできた。芸術家の想像力が及びもしないほど豊かな経験をもつ彼ら彼女らの体験をもとに絵本をつくるのが、彼の目指すところらしい。意図的に、移民になろうとしている。今福龍太の本が端の方に置いてあったが、言いたいことは、そういうことであると思う。

実は、それは半分本当の話で、作家さんの片方が本当に住民票をこの藤島八十郎の家に移し、この島で、島のお年寄りの話をききながら物語を書いていくという。それを八十郎の作品として蓄積していくという。芸術祭が終わったあともこの島で八十郎をつくっていくという。彼は八十郎をつくる三十郎として意図的に移民になろうとしていた。


その前日、犬島では「維新派」という舞台を見た。そんときはあんま強く意識できなかったが、東アジアに浮かぶ島々の近代化の歴史において、意図的に移民になろうとしてきた人々がいた。複数の時間が同時に存在する劇中繰り返される「そこはいつですか」という問いかけによって、知らず知らずのうちに「じゃあ自分はいまどこにいるの」を考えさせられ、考えてみると「島々の近代化の成れの果て、かつて栄えた銅精錬所の巨大な廃墟の前で、2010年、島々とそこに渡った意図的な移民の歴史を見ている」という結論に至る。


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石川直樹の本にクモや気球を引き合いに出し「ふとしたことによって、あらゆる土地や考えから自分を 離陸 させることができる」と書いてある部分がある。灼熱のなか島をめぐったこと。後輩の結婚式。何も変わらないラーメン定食。京都に住んでいること。

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