2011-02-24

三品和広先生のレクチャーをききにいってすごかった

三品和弘教授(神戸大学経営学部)のレクチャーを聞けるチャンスを得たので、聴きに行きました。どうしてもお話を直接聞いてみたかったのですが、やはり、強い印象が残りました。以下、文が崩れていますが勢いでメモを記します。

まず前提として、三品の言う「戦略の重層構造」を説明する。
戦略の重層構造とは
Ⅳ日常のマネジメント:〇〇管理と名のつくもの全て。
Ⅲ戦略的意思決定:製品レベル:今年、来年…のロードマップ
Ⅱ事業デザイン:事業レベル::開発・生産・販売…のやりかたにかんする決定
Ⅰ事業立地:何屋さんをやるか

1945~70 Ⅰの時代 現在の日本大企業のほとんどがこの時期に立地を決めている。

          たとえばキャノンは、カメラを捨て、事務機へと立地を変更した。
1960~85 Ⅱの時代 ライオンが問屋を使った物流だったのに対し、P&G参入をにらんだ
          花王の丸田芳郎社長は、「自社流通網を整備する」という、
          いわば前方垂直統合を行った。
1975~ Ⅲの時代 
1980~ Ⅳの時代  趣々の現場管理。TQC活動を各社が採用し始める等。

三品が問題視するのは1975以降の日本企業がⅠ・Ⅱに手を入れることなくⅢ・Ⅳのみをいじくりまわしていることだ。

ではなぜⅠ・Ⅱに手をいれないことが問題なのか。それは「Ⅰ・Ⅱには寿命があるからだ」というのが三品の説である。これを三品は1980年代から1980年代において〇〇で上位を占めた事業体の推移データによって、示している。

例えば、「1896:紡績(日露戦争)☞1911:製糖☞1923:造船(戦争)☞1944:重工・鉄(戦争)☞1950:鉄☞1960:日立・東芝(家電の登場)☞1970:鉄・重工(スーパータンカー時代)☞1980:自動車」と10年単位で変化が起こっている。

このように、ⅠやⅡに寿命があるという立場から見れば、まことしやかに言われる「企業寿命30年説」は、誤りである。企業ではなく、単一事業の寿命が30年と考えるべきだろう。例えば、GE・P&Gといった企業は19世紀に創立され、現在まで成長を続けている。そして、これら企業の中を見てみれば、ⅠおよびⅡの変更が絶えずなされてきているのだ。「企業の寿命じゃなく、事業の寿命だろ!」が三品説である。


その意味で「立地が機能しているかどうか」で、もうすべてが決まってしまうとも言える。Ⅲ・Ⅳの部分でいくら頑張ってもムリなんだ!と言い切る。

立地自体を創造した企業の利益上昇っぷりをデータで示す。さらに、もはや個別企業の経営ではなく、業界全体の立地そのものが腐ってしまった例として、百貨店業界を挙げる。

(百貨店業界は1960年代で終了。昔は百貨店に行くこと自体がエンタテイメントだった。そして「定価で売る」という行為が平然とまかり通っていた)

しかし、Ⅰ・Ⅱを決定することは難しい。そして我々は、戦後すぐの時代に、先駆者が築いたⅠ・Ⅱの上にただ乗っかって仕事をしてきた。その時代の、高校もでていない先駆者たちの「Ⅰ・Ⅱのやり方」を、我々は知らない。これが三品の問題意識だ。とりわけ、走っている会社の動きを止めずに、ⅠやⅡを取り替える作業は困難を極める。やり遂げた会社は、GEぐらいしか知らない。

彼が強調したのは、Ⅲ・Ⅳレベルで優秀なミドルを、早い段階でⅠ・Ⅱの段階に参加させ、鍛えること。しかしこれがかなわないが故に、大企業のミドルは憂鬱である。(だが、実際にやった大企業の例は存在する)。

さらに、戦略論の系譜においても日本の経営学者がⅢ・Ⅳレベルの戦略論を展開し「日本はここが強いんだ、ここで勝負するのだ!」と日本的経営を持ち上げて自己満足しまったこと、これも非常に問題であったと三品は考えている。例えば、「伊丹の「見えざる資産」:現場のノウハウ」「藤本:すりあわせ論」。藤本が車業界で勝ってきたことと、製品アーキテクチャと関係付けて語ってみせた功績を彼は認める。しかし、そこからⅢ・Ⅳこそが重要という結論を導くのは間違っている。Ⅲ・Ⅳで日本が勝てていたのは、その時代においてはⅠがしっかりしていたからなのだ。
「だから、今、下層のⅠ・Ⅱについて考えなければ意味が無い。今、日本企業にはそれがないのだから。俺はそこを考え抜いて、だれも考えていないこと考える経営学者として生きて行くと決めている」「ブレインストーミングから、生まれない。自分の頭で考える。データから、現場から、対話から導きだす」「アメリカで学んだのは、未知の分野に挑戦するための姿勢」「経営も同じで、未知の領域に道をつくることなのだ」」という内容の彼の言葉に、すごく熱いものを感じた。穏やかな語り口なのにむちゃくちゃ凄い。壇上にいる、オリジナルなものを生み出すことに人生をかけたひとりの男の迫力に、畏敬の念を抱かざるを得なかった。

:感想:
サラ地から作るほうが簡単なら、そうするべきだ。
Ⅰ・Ⅱを自分で決められるように、自分でするべきだ。

このように思いました。

以上です

3 comments:

  1. 補足
    Ⅰ・Ⅱ
    最近の日本企業で、傍流からでてきた「若い不良」を大企業トップに据えた例をしらべてタンブラーにまとめる。

    (補足。アンゾフ:不確実性の低い次元における戦略論 ポーター:中間 ミンツバーグ:不確実性の高い次元における戦略)
    (補足「今時分の会社はⅠ~Ⅳのどの次元と向き合って戦略を決定するのが、意味のある行為なのか」これを間違えないことが重要。(寝てても儲かるような事業立地を捨てようとした間違いの例として、コマツを挙げる))
    (トヨタも事業の入れ替えをしている(自動織機☞自動車))

    その他の、個別会社が、傍流から若いヤツを引っ張り上げている例については、
    たんぶらにまとめる
    三菱ケミカル:トミザワさん、小林さん
    資生堂:前田しんぞう
    GE
    (http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090109/182336/)

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  2. 先日アメリカ帰りの広告代理店の方とお話しする機会がありましたが、
    その方もⅢ・Ⅳに拘泥してもダメ、と仰っていました。
    理念から遡って生み出す価値にストーリーをつけ、差別化するのが大事というのがその方の意見でしたが、
    ぺさんの言うⅠ・Ⅱは「理念」を具体的に肉付けしたものか、と感じます。
    また、アメリカには答えの無い事をやる風土があるとも仰っていました。

    アメリカ帰りがポイントなのか(?)、かなり内容が被っているように思います。
    びっくりしたのでつい投稿してしまいました。

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  3. きんぞう
    コメントありがとう。
    アメリカの企業は㈵・㈼がダメになったとき、それはもう根本的にムリなのだから、
    日常のマネジメントで改善せず、事業や会社自体を潰してしまう
    というやり方が得意だよね。
    でもそれが労働市場の流動性をうみだして、
    新しく出現してきた㈵の流れに優秀な人がどんどん流入していく。
    焼畑農業みたいな感じ。
    これは、日本大企業にはないものと感じます。

    僕も、最先端で新しいことに挑戦しているひとの身近で学生生活送ることができた。
    これはすごく良かったと思っている。
    先生は、二人ともアメリカで研究生活を送ってた人だった。
    その時いつも感じてた畏怖の念を三品先生にも感じたよ。
    そういう超一流の方にあうと、ムダとはわかりつつも
    井上陽水の歌みたいに、つい憧れてしまうな。

    また、きんぞうの情報もいろいろ発信してくださいね〜

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