2013-07-23

今朝の日記(大竹伸朗の本

早起きして大竹伸朗の新著『ビ』をよんでるが、大竹さんは最高だ。

モチベーションの持ち方が好きだ。作品を作りたいていう強い気持ち。まじ最高。

作品を作る動機のロジカルに説明できなさ、コンセプト性のなさ度合い、作品群の統一性なさ、雑多さ。作品の極度の多さ。

上記内容がまったくの対極にある杉本博司とともに、俺が好きなアーティストは、と問われたら真っ先に答える人物です。



2013-06-08

ペーパードリップでいれるコーヒーについての現時点の考えまとめ


コーヒーについて、現在の考えをまとめます
  • コーヒー豆を購入し、自分でいれて飲むようになったのは、大学3年のときからだ
  • 豆の産地・焙煎の深さ・一杯につかう豆の量・などを試し、自分の中で好みの味はこういうものだ、というものもできた
  • いろいろ試したが、ただしコーヒーのいれかただけはずっと同じ。つまり、ペーパードリップという方式でコーヒーをいれてきた
  • (ネルは管理項目が多すぎて不可)
  • (エスプレッソは、市販のヤカンみたい奴で作っても重要な要素である「圧」が足りないから不可。専門店の高級マシンのやつを飲め)
  • そんななか、去年、高校時代からの先輩が、「浅煎り豆・プレス式」という私が今までやっていなかった方式でコーヒーをいれ続けていた、ことを改めて確認した
  • それは、日本のだいたいのコーヒーおいしいとされるカフェの基本やりかた、つまり「深煎り豆・ペーパーorネルドリップ」という方式とは基本的に異なる
  • 「浅煎り・プレス」は昨今、米西海岸コーヒーの新たな潮流ということで紹介されてる(たとえばBRUTUS)ものと同じ方向性だが、それを10年ぐらい前からやってたことを改めて話しあい、かなり感化された
  • kucha rismo という店で、宇都宮にあります
  • というわけで、昨年からの1年間、プレスでいれて美味しいコーヒーを自分のなかで探索する旅が始まった
  • やり方は、「普通の紅茶などをプレスする器具」「エアロプレスという注射器みたいな器具」「挽いた豆をガラスポットに入れ→お湯を淹れて3分待機→茶こしでコップにうつすという原始的方法」など
  • 1年で、それなりにいい感じにやり方を身につけた
  • しかし、一番の問題点は、豆にあることが判明した
  • 前提 : 自家焙煎マジの店に限る
  • 要望 :
    •  (1)近所(チャリで行ける)
    • (2)値段は¥500/100g以下 
    • (3) プレス的な入れ方にベストマッチさせようと豆を焙煎している
  • そんな店は見つけきれませんでした
  • より詳しく言えば、条件(1)(2)を満たすよき店はあるのですが、(3)を同時に満たそうとすると難しい
  • (日本のカフェのハズシのない王道であるところの「深煎り豆・ペーパーorネルドリップ」カルチャーをあえて追求していないが、名人、というのが、そんなに簡単にはみつかるわけもなく)
  • (だから、例えば、プロでやってる俺の先輩は、そういう方向性の焙煎屋(米・欧・日)から豆を仕入れて、いれている。そしてそんな豆はとても高い)
  • (ちなみに、米発信のそういう系な豆焙煎ショップは、そういういれ方にあう豆をかなり分析的に焙煎しているらしく、豆を買うと、どんなパラメータを用いたか表示されていることも多い。そういう理詰め突き詰め感はアメリカらしくて素晴らしい。がそんな豆はとても高い)
  • (ですから、そういう豆を用いて意識してコーヒーをいれてる店があるならば、私としてはお金をだして飲むにかなり値する)
  • てわけで、今日から「中深の豆をペーパードリップでいれる」という方式に1年ぶりにもどしました
  • 以前どおり、おいしかった。以上です
  • とはならなかった
  • 「お湯をいれて3分待っておけばいいスタイル」とは全く異なる要素がペーパードリップにはあることを改めて再確認した
  • それは、「非常に集中して、お湯をそそぐ作業を行う必要がある」点
  • これを間違うと、あまりおいしくない
  • したがって集中が要る
  • 実は、この作業プロセスが私にとっては非常に重要な、「坐禅してるような、気持ちをかなり静かに落ち着かせた中で過ぎる時間」になっている事にあらためて気づきました
  • できあがるコーヒーもさることながら、この3分程度の時間がすごく好きだったということを思い出しました
  • (千宗屋が「茶」という本で、1日の中で自分で2-3回、茶を入れる時間のことを上記のような時間としてとらえている的に言ってたと思う)
  • 結論として、現時点、コーヒーはペーパードリップが良いです
以上です

2013-04-30

iphone5を毎日つかっていての様々な感想

iphone5を毎日大活用していますが、それにまつわる考えを巡らせたので以下に整理します
  • foxconn、普通ならプレス or ダイキャストのところ、ファナックからCNC切削機械を大量購入して制作。iphoneのユニボディの話。 
  • ファナック、神。やりきったホンハイ生技の力技も。
  • オプション品、故障時のメンテ品を3Dデータでユーザに渡し、プリントアウトしてもらい、使ってもらう。メーカは在庫持たない。というサービスの考え方。でてくる。たぶん
  • 森精機、また工場見学してー。あとファナックもいってみたいー
  • 「自工程完結?結果として組み立て易さ&検査レス?関係ねーぜ、全部力技でやるぜ。レイバーコスト安いぜ」vs「サプライヤ含め自工程完結」。時代は前者。
  • 力技になってる部分を安い人いがいに置き換えられたら、後者は勝てる。
  • ただし、力技になってる部分は現状、力技以外へのおきかえが大変
  • ホンハイの利益率2%→早くODMしたいはず
  • foxconnが中国国内の人件費の差を利用して工場移転→移転先で事故→iPad受注がpegatronへ流出。
  • EMSはそろそろ、簡単な工程はミャンマーに出し始めるのではないだろうか。人件費、中国の1/4程度とのこと
  • 上記2件、焼畑農業にしか見えない。
  • いろいろあるけれど、世の中の大きな流れはこうだし、変わらないと思う。
  • また、そのおかげでiphone5 の便利さを最大限享受できている。
  • そんな中で、都度都度、世の中の全体の事や、自分の暮らしの事、何が幸せなのか、「我が人生にいっぺんの悔いなし」と言い切れるための要素(ひとによって、かなり異なる)、など、まじめに考えつつ生きていこうと思いました。
以上です。

2013-01-27

ジャズ研の結婚式にいってのまとめ

あまりにも基本的なことなのですが、こういうことは毎回確認が必要なことのため記します

  • ジャズ研の先輩の結婚式に参加した おめでとうございます。
  • もうそれはずっと知ってることなのだが、今回も最高だった
  • もちろん学生でいろいろ一緒にやってた頃とはちがって、全員が集まるわけじゃない
  • いまは各自、いろんな近況。
  • でも、なんか皆さんがいつまでも繋がってる感が、基本的なコード進行みたいに、ある感じ?
  • もともと地元全然違うし、いま住んでる場所も東京・それいがい・海外まであるし、やってる仕事も全然違うし、それぞれがっつり or ちょっと休んでたり・転職や起業かんがえてたり・独身・結婚・こどもいる・いない・…etc.
  • あたりまえだがやっぱ、いろいろ変化する
  • ひとりひとりの皆さんと話すと、自立されているなーと感じたり、すげー何かに打ち込みまくってたり、とても幸せライフな家庭を築かれてたり、ずっと昔から同じで貫いてたり、という部分が垣間見える
  • 昔からしっている皆さんがそいう感じなので、年齢関係なく尊敬の念、抱く感じです
  • 私はHIPHOPがけっこう好きですが、聞くと、地元をレペゼンするラッパーが、「ここがおれたちのHOOD、YEAH、YEAH…」というようなことを歌っていることがよくある
  • そんな感情を、どうしてもこのジャズ研というものに対して感じます
  • 「ここがおれたちのHOOD!」と叫びたいような気持ちに毎回、なります
  • おれたちのHOODはいつまでも世界に誇れる最高のHOODだ!と言いたいです


以上です

2013-01-15

地中美術館の感想_2013-01-13

直島を久しぶりに再訪し、ひとり地中美術館に行ったので考えをまとめます
  • 地中美術館は、常設で3人の作家の作品が置いてあり、展示替えはない
  • そのため、なぜこの美術館にこの作品が置いてあるのかということには、深い意図がある
  • さらに、それぞれの作品も、非常にコンセプチュアルだ
  • 一見、「印象派の有名画家の絵」という一言で片付けられる可能性のあるモネの絵も展示されている
  • がしかし、この地中美術館においては、最晩年のモネの絵は、「白内障という要因によって知覚が歪められた作家が、自分の知覚する現象をキャンバスに落としたきわめて具象な絵画」という位置づけで展示されていると考えられる
  • その時に想起されるのは、いわゆる「じゃあ知覚の先にあるモノそれ自体」なんてあるのか、そんなものはなく、知覚が全てなのか、といったカントの時からある哲学的問題であったり
  • 他の展示であるところのジェームズ・タレルの作品で示されているウィトゲンシュタイン的アスペクトの実験(人間の知覚にはアスペクトってものがあり、詳細は省くがそれは意識的に見たり見なかったりできるもの)と、そもそも病気という外的要因によって知覚が歪められてしまった状態で絵画を作成している状態との鮮烈な対比であったりする
  • もうひとつの作品、ウォルターデマリアの作品は、大きな石の球が巨大な階段状の部屋に置いてあるものだが、作家によると、「その作品の意味はない」という
  • しかしながら、私はその部屋に入るとき、いつも、なにか神々しものを感じてしまう。西行が言うところの「なにごとのおわしますかは知らねども…」的な気持ちになるのだ
  • それでもしかし、作家によると、意味は特にありません、という。では、なぜ意味がないものに、こう人間てのは、私てのは、何か意味をかんじとってしまうのだろう。そういう人間の心の作用って何なんだろう。
  • そんなことに思いを馳せざるを得ない作品があるのがこの美術館です
  • 今回、さらにそれを、閉館間際の暗い空間で、ひとりきりで、本当に耳が痛くなるほどの強烈な静寂さの中で鑑賞できる瞬間がありました
  • そのとき、心が踊っているような、静かに沈んでいるような、なんとも言えない感動がありました。深く感じ入りました。
  • 会田誠は、大学の時ある意味悟りを得た経験を経て(あの曼荼羅の作品)、だからこそ人生の本質的な部分で勝負するのではない方向でアートをやろうと心に決めた、と、この前言っておられました。そして、そんな会田誠の作品は、大好き。
  • じゃあ、逆に、本質的なところで勝負してる作品はどこにあるか。それは、地中美術館。それは自分が聞かれたら間違いなくそう答えます。


以上です