2008-11-13

思考のメモ 『日本語が亡びるとき』を読んだ

『日本語が亡びるとき』 大きなインパクトがあった
それよりも 合同会社翻訳オフィス駒田による注釈のほうに 
ここ数日次から次にいろいろなことが浮かんできてうまく文章にできない
 
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ルーマニア語やってて女性の友達ができた 美人だ ルーマニアから日本に留学する機会を得て語学学校いったあと東北の大学でて東京の大学院に来て経済学をやってるという 

なぜルーマニア語やるの?と最初に聞かれ入る会社が設備投資するかもしれないからフランス語に近くて勉強しやすそうだからとかはっきりしない理由を述べた 本当の理由なんか自分でも分からない 今やらなきゃいけない気がするだけだ

自然と言語の話になり普段はほとんど英語で読んだり勉強も英語でやってきたって言う そして「英語できないとルーマニアでは何もできないから」と日本語で言われたのが忘れられない 最近まで独裁国家で大統領を公開処刑して独立した貧しい国からチャンスをつかみに来た…とか想像せられた あんなラテン系ノリで明るい裏で

英語圏で暮らして 一生ルーマニアには戻らないだろうなって言ってた 言葉に重みがあった intelの創業者が頭に浮かんだ 社会状況が引き出す才能と勤勉さ 自分も今すげえこの気持ちだな 
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情報をとろうとするとき ネットにあふれてる英語記事を見るように自然となってきた 優秀な人ならもっとそうするだろう そしてさらには英語で発信するかも  今生まれる子供とかもっとそうなるんじゃないか そうやってだんだん日本語で書かれた知識が蓄積しなくなる 日本語はローカルな会話の言語程度になる  (インドやフィリピンと同じになる) 
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言語学者は「言語は変化するのが基本だから」「日本語だって平安からずっと変化してるから」と言う その通りで だから正しい日本語とは?を考えるのはあまり意味がないと思っている けどこの本で言われてる問題は話が別だ 変化する通りに日本語で蓄積される知識(文化)がショボくなっていくのに任せたら 将来は日本語母語話者は生まれながらに相当のハンデ背負うな しかも今の日本人みたいに英語できないとなったら今よりも深刻だろうな 成長のピークを終えて人口も減って小国化していく日本だから 

そーゆーことに無関心な研究でいいのか そういう研究には本当に意味がない 
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「日本語は絶対 大丈夫」という反論もあり得る 

なぜ今まで大丈夫だったかを考えればなぜ今は「絶対大丈夫」でないかは明白である 島国という「距離」と世界の50人に一人それも最も経済的に豊かな方の一人が話し手だという「質量」によって「自然」に護られてきた(弾)

日本人がここまで素朴な認識しかもてないのは 日本が世界にもまれに見る言語・文化・民族の境界線がピッタリ国境と重なる国だからだ そして小飼弾が言うとおり日本の経済が豊かであったからだ
(elm200)

要するに大国ほど外国人とやりとりする必要性は少ない その傾向は欧州ではっきりと見てとれる 隣通しなのに デンマーク人やオランダ人の英語は ドイツ人よりずっとうまい (日本はこれから小国化するのみの国)(弾)

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英語でないと必要な情報を取得したり発信できなくなる チャンスが回ってこない 日本では今はそんな事ない と思おうとすると「英語できないとルーマニアでは何もできないから」がいつもよみがえってくる 奴らはマジでそういう人生を生きている

国際的水平分業せざるを得なかったから日本から出て行き 結果として成功した企業 これは上のルーマニア人女性とおなじ仕組みだ そうしてフラットになった ら社員が日本人であることなんか必要ない 海外で働きたいちょっと英語がすきな日本人を雇って教育するより 外国人を雇った方が効率いい 自社webサイトみたら外人メチャ採用しようとしてた  
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英語と日本語を日常的に使用していることを前提に書評が進められている感じがする 日常的に日本語のみしか使ってない人にとっては「心の叫び」は届かないのでは (tarbo)

英語は避けて通ることができない現実 しかし人生は短い 英語というハンデのある世界に背を向けそれなりに豊かな日本語の世界に逃げ込んでも日本語の凋落前に寿命を迎えて逃げ切れるなら一世代の戦略としては正しい (江島健太郎)

やらなくても生活なりたってるなら 自分が死んだ後のことは考えないなら別に『日本語が亡びるとき』は確かにどーでもいい話 
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「インターネットの世界に住むように暮らして、自分の読む、書く言語を自分で選んで仕事をしているような気分になっていたところが、実のところ英語の世紀のなかでふと顔を上げたら目の前に突きつけられていた踏み絵に、どう答えるのかとわたしは決断を迫られている。そんな気がした。

英語はすごくおもしろい。でもときどき怖い。

その気持ちを生き残りの戦略という器に注意深く移しかえる。少しも目を離せない、そんな微妙なさじ加減を、わたしが生まれた時代と同じ時代に生まれたわたしたちは、脚を組みあわせてじっと考えるための座敷に足を踏み入れているのかもしれない」

http://d.hatena.ne.jp/aki1770/20080922/1222088909

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英語は凄くおもしろい けど英語さいしょから話せる人と 習わないとできない人の溝は大きい 江島健太郎がパーティで感じる「何もいえねぇ」感をあじわう事 がある 僕は25歳で今から凄くできるようになるのは無理 だから「英語しか話せない人には分からない事」「英語をやってる人が見てない事」にフォーカス してやっていきたいと思ってる (バイリンガルの小飼弾が同じことを言っていた)

英語は好きだし大事だって思うけどフランス語アラビア語ルーマニア語をやってきた なんかそっちに魅かれてきた自分もコレハ踏み絵の前にたってるんじゃないのか 「その気持ちを生き残りの戦略という器に注意深く移しかえる」

めっちゃ格好いい しぬほど同じ気持ちだ

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悪い方向に行きそうになったらいい方向に行くように方向転換してうまくやりくりして生きて行くだけだよ と祖母が言ってた 戦争の時代と違って戦死しなくてもいい 貧しくて土方にならないとってこともない やりたいことを追求してもいい自由を生きている だから必死に考えたい やりたくないこと やってるのはやりたくてもできなくて死んだ人に申し訳ない気すらする でも上のことが全部上手くいかなくても別に構わない 方向転換するだけだよ 一方で こういう姿勢も忘れないでいたい

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