2009-01-25

ルーマニア語の近況


ギリシャが専門の先生に近況報告したら 隣の部屋にいるルーマニア人の教授を紹介してくれた 会いにいくつもりだけど 何をはなせばいいんだっけ イコン ヘブライ キリスト教神秘主義の話になんてついていけない どうしたものか 

ルーマニア語の先生をしてくれてる友達に会えるのももう3月の末までだ 新年は家族も一緒にバングラディシュ人の彼氏の実家ですごしていたという バングラはトヨタ車がしぬほどひしめきあってて(彼もその影響かトヨタ本社勤務)交通ルールがないとか もてなされすぎて腹がはち切れるかと思ったとか そんな話をきいているだけでもおもしろい いっぽう母語じゃない英語ってのだけをたよりに全然人種違っても結婚などしていくものなんだなあと別に当たり前の事をぼんやり思った 自分の興味は「好むと好まざるとに関わらず母語じゃない言語を使わざるを得ない状況に置かれてしまって そのなかでなんかポジティブなものを見つけ出してやってる人」にあるらしい 日本語で書かれた文法書があんまないと騒いでたら 小学生のとき買わされたけど開いたこともないからといって文法書をくれた 友情! 部活やってる時1日休んだら3日戻ってしまう!みたいにいつも言われたけど その単純な呪文みたいのを最近はつい唱えてしまう つまり凄くやる気があって 以下のような気持ちでいる

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http://ishiyama.arch.waseda.ac.jp/www/jp/toppast/top0204.html

2002
四月二三日
世田谷村日記をもっと充実させる事からプログラムを組み直す。佐藤健との敦煌その他、西域の旅で学んだのは、一日一日をことさらに観念的にもならず、センチメンタルな心情からも逃げまくり、しかも淡々としてやってゆくことの大事さだ。その事を突きつめれば、日々の暮らしを深化させる努力を続けるという事で日記を付けるように考えを拡張し、また同時に集中させる事でもあろうか。つまり日記を付けるように建築を作り、いろいろな身の廻りのモノを作り、スケッチをして、絵を書くということだろう。日々の生活が深まってゆく事が意識できれば、それがいつ中断されても、それ程に無念な事ではあるまい。

4 comments:

  1. 俺が前に、フィンで絡んだ英語教師のスコットランド人は日本の法律を研究してるルーマニア人と付き合ってました。つくば外人コミュニティ恐るべし、と思いました。

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  2. でも言葉通じれば国が違うとかそれほど関係ないんだろうな というのは自分が見てきたことだけからでも感じるよ 残念ながらあんま実感できないけど…

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  3. ともあれ、この表紙カッコいいよね。
    ぼかぁ好きだ。

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